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リーダーとの対談録 第5号 (杉田一真 産業能率大学教授)

2022年度交渉学 第1回「リーダーとの対談」

秋学期、第1回目となる2022年10月10日の『リーダーとの対談』は、産業能率大学教授の杉田一真(すぎたかずま)氏にご登壇いただいた。杉田氏は、慶應義塾大学総合政策学部を卒業後、大学教員として大学経営や改革に携わると同時に、経営コンサルタントとして地域活性化等にもかかわるなど産・学の二足の草鞋を履く。今回は田村次朗教授、『交渉学』を履修している学生との対談を通じ、自らの経験とともに自身の人生におけるミッションを語っていただいた。

大学教員になった理由

「どう考えてもアカデミズムなキャラクターでない。」

自身でそう言い切る杉田氏が大学教員となったのは、田村教授の一言がきっかけだった。

「一真、大学教員になれ。大学教員になって社会を変えるのがお前の仕事だ。」

学生時代、田村教授のゼミ生だった杉田氏。

「人の面倒を見ることができそうな人。当時からほかの学生よりも俯瞰的な視点をもっていた。」

と、当時を振り返りながら田村教授は語る。「バルコニーからの視点」、つまり物事を俯瞰で見ることがリーダーシップを発揮するうえでは重要だ。大学で教鞭をとるなかで多くの課題を感じていた田村教授は、新しい教育を受けた人に大学を変えてもらいたいと杉田氏に期待したと真意を明かした。

田村教授の後押しもあり大学教員となった杉田氏は、初代慶應義塾大学総合政策学部長である加藤寛氏の依頼で嘉悦大学の改革を推進。2009年には「福澤諭吉が今を生きていたらどんなビジョンを描くか」を考え、慶應義塾創立150周年記念事業の一つとして『福澤諭吉記念文明塾』の創設に携わり、「社会の先導者を育てる」との理念のもと10年間運営を担った。その間、「さらにスピード感をもって物事を動かせるところに行きたい」と産業能率大学に移籍した。

今後の大学に求められるもの

18歳人口が減少し、大学を取り巻く環境が厳しくなる中、大学には「4年間でどれだけの学生を成長させられるか」が問われていると杉田氏は説く。グローバル化が進み、競争の激しい社会のなかで活躍できる人材を育てるため、各大学の創意工夫が試される。杉田氏の所属する産業能率大学は、もともと社会人教育を担っていた教育機関で、現在も実務家教員が7割を占めるなどビジネス色が強いのが特徴だが、教員の評価の仕方にも一工夫を加えたという。それは、学期末に行う学生の授業評価などの「結果」のみならず、授業運営などの「プロセス」にも注目するというものだ。授業中の教員のレクチャー時間やワーク時間、学生の参加度などをデータ化し、教員にフィードバック、それをもとに各教員が自らの講義の改善を行っていった。このような取り組みにより「入学後、生徒を伸ばしてくれる大学ランキング」で全国8位に輝いた。

学生の実力をいかに伸ばすかが重要な昨今において、既存の大学教育のシステムには課題が山積だ。「学費も含め、歯を食いしばって頑張る学生を支援できる制度を作れたら」と、杉田氏は先を見据える。

大学経営とコンサルティング

経営コンサルタントとしての肩書も持つ杉田氏は、地域活性化にも携わる。例えば東京都葛飾区は、進学率、犯罪率が大きな課題となっていた。そこで杉田氏は、区が買い上げた土地に大学を誘致することを提案した。町工場の多い葛飾区に理系大学がキャンパスを構えれば、産学連携による地域活性化を実現できると踏んだからだ。実は、区は当初その土地に病院を建設する予定であった。しかし「病院を建てても何も変わらない。未来の地域を支える人を育てる場を創れば街は大きく変わる」と、経営コンサルタントの勘が働いた。

北海道平取町でも地域再生に取り組んでいる。平取町は人口が4000人という小さな町。特筆すべき観光資源もなく、移住者も限られている。杉田氏は、平取町の近くにある厚真町に目を付けた。ここは、サーフィンができる町としてサーファーに人気で北海道のなかでは温暖な地域だ。杉田氏いわく住みやすい地域の条件は「海と山があって、その間に都市機能がある」こと。これはカナダの人気都市バンクーバーにも当てはまる特徴である。杉田氏は町の職員の前で「平取町は北海道のバンクーバーになりましょう」と言ったら失笑されたと笑う。

杉田氏がたどり着いたミッション

大学経営や地方行政に限らず、多くの課題がある現代社会。いまは「数ある課題の中で、根本的な問題を特定できる人」が求められているという。また、問題を解決できる人材となるには「常に自分の専門分野の情報にアンテナを張っておくこと」が大切だと杉田氏は指摘。田村教授も「多くの人が受け身の教育を受けてきているから何かを与えられると信じている。自分から能動的に動ける人にならなければいけない」と同調した。

田村教授の一言で大学教員となった一方で、「大学教員になることは自分にとってはプロセス」と経営コンサルタントとして地域活性化事業にも携わる杉田氏。幅広い分野で活躍するなかで「人の一生は短い。常に人生の意味、この瞬間に何ができるのかを考えてきた」と語る。そしてたどり着いた答えが「愛のあるところに希望を届ける」こと。「大学や地域などには必ずその場所を愛している人がいる。その人たちが、未来への出口が見えずに苦しんでいたとしたら、そこに解決策を提示するのが自分の役割」と熱い思いを語った。